過ごしやすい季節になりました
散歩道の先、小川の側の柿の木に実がなっていました。今年もそんな季節になりました。新型コロナの流行も今年で3年目、そろそろ変異ウイルスも弱毒化したみたいで徐々に収まることを期待しています。政治は全然期待できませんね、自浄作用が全く機能していません。与野党とも似たようなものだから国民の期待に応えてくれそうな議員が見当たりません。国会議員が特にそうです。地方には明石市市長や泉大津市市長のような市民目線の首長もいますが、本当に少ないです。このような地方からの改革に期待しています。

部屋のコタツテーブル、4年前に亡くなった女房が歩行困難でしたのでリビングの家具等は全て床置きでしたが、慣れ親しんでいたから気づかなかったけど、改めて普通の高さに置き直し、先日もらったダイニングテーブル等を配置するとずいぶん楽な姿勢で日常生活が出来るようになりました。コタツも足を継ぎ足して、冬になったらダイニングコタツ布団を掛けるようにしました。

ゼレンコ博士 コロナワクチンの危険性とプランデミックを告発
ヒドロキシクロロキンで多くのコロナ患者を救ったゼレンコ医師の命を懸けた告発です。(動画、日本語字幕あり)
ゼレンコ博士についての詳細は以下のサイトをご参照ください。
佛立本旨講妙應寺 水谷導師 説法のご紹介

毎日とてもよいお話をアップされているのでご紹介したい。
ちなみにこの導師、私の高校時代の恩師(故人)に似ている気がして親しみを感じてしまう。
”国法なき国葬に断固反対” 今、声を挙げずして、いつ声を挙げるのだ
ニーメラー牧師は、反ナチ運動組織告白教会の指導者
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
そして、彼らが私(教会)を攻撃したとき 私(教会)のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
私の記憶では、この詩を耳にしたのは、かなり前、教会の説教中だったと思う。そして元詩の「私」を「教会」と読み替えて紹介された覚えがある。声を挙げるべき時に声を挙げなかったとしたら、いざ声を挙げなくてはと覚悟した時にはもう遅いのだということを教えてくれる、いや警告する詩として私の心に残っている。
今、日本では、安部元総理大臣の銃撃事件に端を発して自民党他多くの議員と家族連合(旧統一教会)の問題がクローズアップされ、また岸田現総理大臣が閣議決定により安部元総理の国葬を強引に実施しようとしている。これに対して私は断固反対の意思を表明する。国葬の法的根拠云々については議論があるところで、岸田総理は、Yahoo news(7/16 楊井人文弁護士)によれば、以下のように要約される発言をしている。
岸田首相は7月14日の記者会見で、内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として定められている「国の儀式」として、閣議決定をすれば実施可能との見解を示した。法的根拠については、事前に内閣法制局と検討したことも強調した。
たしかに、内閣府設置法には、所掌事務を定めた第4条第3項第33号に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」との規定がある。
たしかに、内閣府設置法には、所掌事務を定めた第4条第3項第33号に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」との規定がある。
例えば、毎年8月、政府主催で終戦の日に行う「全国戦没者追悼式」も、明文の法律規定があるわけではない。これも閣議決定により行われている。東日本大震災の追悼式も閣議決定により行われている。これらに一つ一つ、明文の法律規定はあるのか、との議論は聞かれない。誰も開催自体に異論がないためだ。
一部政党(れいわ新撰組)が、国葬法は戦後廃止されていることを反対理由にしているため、私も同意だと思っていたものの、上記の記事を目にすると、戦没者追悼式等の実施に関する閣議決定との兼ね合いからは反対根拠が脆弱であると認めざるを得ず、あとは国民の意向によるということになる。


